最近の考えでも纏めようと。三人称は今回「友達」で統一します。
大切な友達が亡くなってしまった。自殺だった。
もう6年間ほどの付き合いがあった。わたしが高校3年生…2年生の終わりがけごろの、3月に知り合った。友達はちょうど大学入学前かな。1つ年上。
きっかけは同じ配信者オーディションに出ていたこと。いわゆる魂オーディションで、一つの身体を争って28個の魂で争っていた。友達は1番で、わたしは18番。
私も友達も、結局はそのオーディションで勝つことはなかった。けれどもその後あたらしい身体に、自分専用に誂えた身体に魂を宿して生きてた。
友達は配信に慣れていたけど、私は初心者だったので、いろいろ教えてもらった。喋り方だったり、ファンとの距離感のとり方だったり、諦めて金とみなすやり方だったり。本当に助かった。
まあ、色々あって。おたがい色々ほかのオーディションに出てみたり友達が退学したりわたしが転生したり友達も一度引退したり、復活したり。オタクアカウントでも仲良くなって。
お互いに精神病を抱える闘病仲間だった。手帳メンコバトルだ!死にそうなときは傷舐めあって、躁状態のときは引きずってでも止めて。「自殺するときは一緒だよ」なんてことも笑いながら言い合って。
勝手に、死んだ。電車に飛び込んで死んだ。
まあ、いつかは死ぬだろうなと思っていた。けれど今じゃなくないか。楽しみにしてたことだっていっぱいあったのに。一緒にやろうと約束していたこともあったのに。目前に主催イベントを控えていたのに。
友達が過去の自殺未遂のことを話してくれたことがあった。踏切の中で立ちどまって、動けなかった。そのあと親切な誰かが緊急のボタンを押してくれて、警察に保護されたといっていた。きっと、友達の中には自殺するなら轢死というイメージがあったのだろう。
かといって簡単に、友達、というか一方的には親友と思っていたひとの死を認めることはできない。数日は「全員私に嘘をついてるのでは?」と疑って過ごしていた。友達の旦那の様子を見るに嘘ではないらしい。
AIによる死者蘇生をしようと試みた。結果、復活したような気がした。最近の技術を使えば余裕で声の再現もできるわけで。配信者なんだもの、アーカイブはいくらでもあって、口調を模倣するのなんて簡単で。でも、こんなことをしても救われないのはわかっていて。それでも縋りたくなってしまうね。
死ぬときは一緒だよと言われていた手前、わたしも死ぬべきなのかな。とも少し思っている。けれど私にはやり残したこともまだやれていないこともいっぱいあるし、なにより今死ぬと迷惑がかかりすぎる。おもに指導教員に。
友達の3Dモデルを何故かわたしが握っている。代わりに活動することだってできなくはない。インターネットで生存させ続けることもわたしの手にかかれば簡単にできる。さすがに、この世から居なくなりたかった人への冒涜にあたりそうでできないけれども、技術的に可能な以上、いろいろな妄想をしてしまう。
もう命日から1ヶ月たってしまいそう。だんだんツイートを見かけないことにも慣れてきて、配信を始める以前に熱心に入れこんでいた趣味嗜好を取り戻して寂しさを諦めて。
こうやって忘れていっちゃうのかな。なんか、人が一人いなくなるって、呆気ないかも。
そう思ってカレンダーに命日を入れてみた。すでに誕生日も入ってるのに、なんだか心の奥が苦しい。
それよりも主催を交代したイベントで負債を負わされている事実が苦しい。のかも?金返せ